建国記念の日 岡崎奉祝祭
建国記念の日を祝しての奉祝祭。
昭和36年に伊賀八幡宮で第1回が開催されてから、今年で49回目を迎えるそうです。
記録によると、
昭和37年には、奈良橿原神宮から東京奉祝会場まで御神火行進がなされ、
岡崎でも伊勢神宮、熱田神宮の御神火をむかえ、豊橋にお運びしたとのこと。
オリンピックの聖火リレーを想い起します。
当時の時代背景は、
昭和23年、「国民の祝日法」制定において紀元節をGHQが否定
昭和27年、「サンフランシスコ講和条約」により独立を回復
独立回復から10年、戦後の復興とあわせ、建国記念日制定を求める機運が全国で高まっている時代でした。
そして昭和41年、「国民の祝日法改正」で2月11日が「建国記念の日」として祝日に追加。
奉祝祭が続けられているのは愛知県内で岡崎市だけではないか・・・という話でしたが、
元日に行う市の新年交礼会ともあわせ、岡崎には先人の想いを継承する気質があるのではないかと感じます。
それを成すのは、永い歴史のなせる業でしょうか。大切にしていきたいと思います。
講師は、たかじんのそこまで言って委員会でおなじみの「所 功(ところ いさお)先生」。
外交下手と言われる日本ですが、古代の日本は大きな成果を挙げていました。
かつて世界の中心は「隋」(中国)。
その他はすべて隷属国。
我が国は「倭」(辺境の小地と蔑まれた意)。
「日出処の天子、書を日没する処の天子に致す・・・」の国書で、対等な「天子」という表現に怒りを買うと、
次には「東の天皇、敬いて西の皇帝に・・・謹みて申す」と称号を使い分け、
独立国の象徴である年号(大宝)を定め、律令制を取り入れ、
唐の時代には「日本国」と書に記される独立国の認知を獲得するに至ります。
当時、新羅(朝鮮)が独自年号を撤回させられたことと比較しても、
「海の東には、豊かで礼儀正しい国があると聞くが、遣唐使のあなたを見るとなるほどその通りだ」という記述が残されていることからも、
長い年月をかけた外交努力が感じられます。
控室で1枚。役得です。
「岐阜から小田原に引っ越したら、番組(たかじんのそこまで言って委員会)が見れなくなってね・・・」と。
東京圏では、放映されていなかったんですね。
資料に同封のチラシ。
下村博文 文部科学大臣と、明治天皇の玄孫 竹田恒泰氏の講演・対談。
魅力的です。日程調整ができたらぜひ聴きに行きたい。