昨日の議連設立に関連して、鉄道に対して気になっていることを少し書いてみようかと思います。
リニア中央新幹線の名古屋駅工事が、昨年12月起工式を終え、始まりました。
目下のところ、愛知県の交通政策目標は、名古屋駅まで40分圏域の拡大。
車と電車を組み合わせて名古屋駅まで何分で行けるかが焦点になっています。
一方であるのは、不採算路線の縮小・廃止。
私は、自民党県議団で山村離島振興議連の事務局長というお役をいただいています。
佐久島は、映画・名探偵コナンの舞台ともなるアート事業や、クラインガルデンなどの来訪&滞在事業など、
離島振興として注目の事業をいくつも行ってきています。
しかし、同時に出される言葉は交通ルートの不便さ。
渡船のある三河一色まであった名鉄三河線(海線)が廃線になった話です。
日常では車の方が便利です。でも、公共交通としての電車は地域にとって必要です。
この話とも呼応するような発表が、昨年11月にありました。
JR北海道が、全路線の約半分にわたる1万2千km以上を、JR単独では維持困難としたことです。
列車の高速走行を可能にするには、線路のゆがみなどを修正するメンテナンスが必要で、
これには予算全体の2割以上の費用が掛かるのだそうです。
列車の高速化 → 相次ぐ不祥事と事故 → 経営のひっ迫 → 保線(メンテナンス)費用の縮減
→ 列車速度を落とす → 移動に時間がかかる → 利用者の自動車への転換が進む
→ 経営の更なるひっ迫化
この負のスパイラルと、札幌一極集中の加速化が、この発表の背景にあるのだとされました。
マスコミ各社がざわめき立って報道したのも、
経営収支の見込みが甘かった第三セクターや、私鉄の損切りの話題ではなく、あのJRが発表したということ。
さらに、人口減少を迎えた日本が抱える課題の先鋭的な露見だという「におい」があったからだろうと思います。
インフラの保守整備と、鉄道運行の運営とを分けて考える「上下分離方式」も、
これから各地で本格的な試行錯誤がなされるのだろうと思います。
社会課題は常に、遠いところ、小さいところ、弱いところから顕在化します。
都会の人間が対岸の火事と無関心のうちに、里くだりを起こし、攻め寄せてきます。
また一方で、鉄軌道には「まち」をプライド付ける力があります。
東日本大震災後、ドラゴンレール(大船渡線)再開への取組はその最たる例です。
代替バスの費用は、鉄道(レールメンテナンス費用まで含めた場合)より、
一桁も安くすむという試算があるそうですが、
鉄軌道は、それ自体が、「まち」=即ちそこに暮らす人々に、
能動のメッセージを送り続ける動脈のような存在ではないかと思います。
明治初期(=国家の体制・財政がまだまだおぼつかない時期)、
社会資本への投資シェアにみる鉄道への割合は実に77%もありました。
新橋~横浜間を、日本ではじめて蒸気機関車(陸蒸気)が走ったのは明治5年、
その17年後には新橋から神戸までが線路でつながり、
更にその2年後には青森までが繋がるというスピードで、全国に鉄道網が展開しました。
時代背景としては、西洋列強の植民地拡大に対抗する必然性(=兵隊の高速・大量輸送)もあったと思います。
しかし、ここで比べてみたいのは、未来に対する私たちの心構え。
天皇陛下の教育掛を務められました小泉信三氏の言葉を引用します。
「吾々はこの日本の国土を祖先から受けて、子孫に伝える。
鴎外が生まれたままの顔をもって死ぬのは恥だと言ったと同じように、
吾々もこの国土を吾々が受け取ったままのものとして子孫に遺すのは恥じなければならぬ。・・・
少なくとも吾々の目で見、手で触れられるこの国土の山川草木を、
受け取ったそのままの形で子孫に遺すのは不面目なことではないか。
吾々はそれを前代から受け継いだよりも好いものとして、これを次代に引き渡さなくては済むまい。」
公器としての社会を受け継ぎ、次代へわたしていく我々の、矜持といっても良いかもしれない内容です。
文章だけの長いブログになりましたが最後まで読んでいただき、ありがとうございました。